このページでは豊洲五丁目の住民によるまちづくりが本格的にはじまった2003年(平成15年)頃からを「まちづくり基盤確率の10年」「防災まちづくりの10年」として、それぞれの年表と概要を解説させていただきます。
(1)まちづくり活動のはじまり・・・「豊洲5丁目連絡協議会」の発足
(2)企業団体「豊洲五丁目地区開発協議会」との連携、そして豊洲五丁目地区地区計画条例の制定
(1)江東区都市マスタープランワークショップへの参加
(2)連絡協議会の組織強化と江東区災害協力隊設立の促進
(3)「豊洲五丁目喰いしん坊祭り」開始!
(4)豊洲五丁目マンション自治会設立
(5)そして、今
1
まちづくり基盤確立の10年
1-1
(1)まちづくり活動のはじまり・・・「豊洲5丁目連絡協議会」の発足
豊洲五丁目は1984年頃より、それまでの工場地域から本格的な人の住む街へと変貌してきました。
2003年にゆりかもめ新設工事によって、沢真ビル前の横断歩道が撤去されそうになり、当時の五丁目の集合住宅(メトロコープ第一豊洲、メトロコープ第二豊洲、都営豊洲五丁目アパート、東電豊洲社宅)と有限会社沢真が中心となり計画中止の活動をしました。これが五丁目住民によるまちづくり活動の第一歩です。これをきっかけに「豊洲5丁目連絡協議会」(以降、連絡協議会と略す)が発足。順次、豊洲シエルタワー、グランアルト豊洲、オーベルグランディオベイフロントが参加しました。
おりしも築地市場の豊洲移転計画が始まったころです。さっそく近隣住民の代表組織の一つとして東京都に意見を述べるなどの活動が始まりました。
1-2
(2)企業団体「豊洲五丁目地区開発協議会」との連携、そして豊洲五丁目地区地区計画条例の制定
これらの活動と並行して豊洲五丁目の地権者企業団体「豊洲五丁目地区開発協議会」(以降、開発協議会と略す)と交流を持つようになりました。開発協議会ではすでに都市計画としての五丁目まちづくり構想が進められていました。その構想は我々住民にとっても非常に有益なことから相互に交流を深め、住民と企業と連携した”街なみ”計画が進められました。こうしてできたのが「豊洲五丁目地区地区計画条例」です。(※詳しくは「豊洲五丁目地区計画について」ページ、または江東区のHP「豊洲五丁目地区」をご覧下さい。)
上程にあたっては五丁目住民から同意書名のご協力をいただき、他では類を見ない住民からのボトムアップによる条例となりました。
この条例により五丁目における新規の開発計画には、事業者がこの条例にともなう「景観ガイドライン」を遵守し、かつ「景観検討会議」を開催し、事実上住民との事前合意を得ることが義務づけられました。
これにより五丁目の街並みは私たち住民の意見が反映されるとともに、”自分たちのまちは自分達でつくる。”という意識が芽生えました。以降行政や企業と積極的にかかわるようになり、区道の植栽や道路標識の整備、豊洲社宅(現パークホームズ豊洲ザレジデンス)の桜の移植、晴海通り歩道の拡張整備、輻輳する建設工事における複数の工事業者との調整等々、東京都や江東区の行政、各企業と調整しつつ、現在の整いのとれた景観を作り出すことができました。
2
防災まちづくりの10年
2–1
(1)江東区都市マスタープランワークショップへの参加
2010年、江東区都市マスタープランワークショップが開催され、私たち連絡協議会もメンバーとなりました。このワークショップは江東区の各エリアのまちを今後どのようにしていくかという提言をまとめるもので、エリア別のグループによりディスカッションを進められました。私たちのグループは芝浦工大の大内教授を座長に、新しい居住区として発展し始めた豊洲・東雲・有明エリアを担当しました。
このワークショップにあたって一つのテーマを持っていました。それは「防災」です。これまでの間に開発協議会や東京ガス豊洲開発(株)(現東京ガス不動産(株))の有識者から、まちづくりの基本は防災であることを強く伝えられていたからです。なぜなら安心・安全が備わっていなければ、どんなにきれいなまちでも、どんなに楽しいまちでも、まったく意味がないからです。
そんな主張を私たちのグループは取り入れ、「平常時は賑わいと潤いの創出。非常時は海上との避難物資運搬主幹ルートとして機能する。」をコンセプトとした提言を発表するにいたりました。2010年10月のことでした。
あと半年も経たないうちに東日本大震災が起きようとは。
このとき誰も知るよしもありませんでした。
2-2
(2)連絡協議会の組織強化と江東区災害協力隊設立の促進
2011年3月11日の東日本大震災は日本中が驚愕した大事件でした。人ごとじゃ無い!と誰もが本気で感じたことと思います。計画停電、帰宅困難者、長周期振動・・今まで聞いたこともない言葉が飛び交いました。
連絡協議会もあらためて防災を認識しました。ちょうど昭和大学江東豊洲病院の建設をはじめとした五丁目の建設計画が盛んになり、また築地市場の豊洲移転決定、地下鉄南北線(現8号線)計画の推進など、私たちをとりまく環境にあわせ、連絡協議会もこれらに対応できるよう組織強化をはかっていたところでした。
翌年の2012年4月1日、初めて総会が開催され、防災活動を大きな柱とした規約が成立しました。
あわせて取り急ぎの対策として「豊洲5丁目災害時連絡網」を整備しました。
しかしここで問題となるのは江東区防災課との連携です。組織強化をおこなったとは言え、当面の間は町会自治会のような行政の認定団体ではない条件のゆるやかな任意団体となることを選んだからです。また認定団体になるためにはハードルの高い手続きや相当の時間が必要です。
そこで比較的すみやかに江東区と連携できる「江東区災害協力隊」を導入することになりました。この制度は江東区独自のもので、対象は町会自治会、およびマンション管理組合です。連絡協議会ではすでに導入されていた都営豊洲五丁目団地自治会から情報をいただきながら、各マンションでの導入を推進しました。同時に連絡協議会の町会自治会化の準備活動も開始しました。
2-3
(3)「豊洲五丁目喰いしん坊祭り」開始!
このように制度面での防災体制づくりが徐々に始まりました。しかし本当の防災体制の要は良好なコミュニティづくりであることは周知のとおりです。ただ豊洲のように短期間で人口が集中すると、お隣同士のお付き合いさえ危うくなりかねません。これは五丁目でも例外ではありません。
そこでこの打開策として、五丁目のお祭りを企画することになりました。これが「豊洲五丁目喰いしん坊祭り」です。
第1回目は2012年10月に開催しました。テント設営から什器の運搬、料理、会場運営等々すべて五丁目住民の手で行います。これは災害時の避難所開設とほとんど同じこと。それ以上にご近所の方々のコミュニティ醸成の場となります。途中コロナ禍により3年のブランクを生じましたが、2023年11月5日、満を持して第9回を開催することができました。
喰いしん坊祭りの様子は「豊洲五丁目のまちづくりのおはなし」の「2.豊洲五丁目喰いしん坊祭りのお話」で紹介しています。
2-4
(4)豊洲五丁目マンション自治会設立
このように災害協力隊発足の推進と喰いしん坊祭りの開催によって概ね五丁目の防災体制がとれました。このため町会自治会設立の優先度は下がってきました。ところが最寄りの消防署主催の会合において案内が来なかったという問題が起きました。消防署は防災の要です。消防署が連絡協議会を認知していないというのは重大な問題です。
原因を調べたところ連絡協議会が認定団体でないためでした。認定団体は町会自治会リストに掲載され、公式情報として行政や企業に広く認知されます。やはり地域の防災体制を確立するためには認定団体としての町会自治会となる必要があったのです。
そして多くの方々のご協力をいただきつつ長い時間をかけ、2017年4月「(仮称)豊洲五丁目自治会」が設立。2019年1月「豊洲五丁目マンション自治会」として認定されました。
これにともない、これまでの連絡協議会は都営豊洲五丁目団地自治会と豊洲五丁目マンション自治会の合同会議として、開発協議会は賛助会員として引き続き五丁目のまちづくり活動を行うことになりました。
翌2020年4月、「パークホームズ豊洲 ザ・レジデンス管理組合」が入会。2022年3月から入居が始まったブランズタワー豊洲は豊洲ベイクラブとして良好なご近所づきあいをさせていただいています。
2-5
(5)そして、今
五丁目の地域防災は、各マンションや都営豊洲五丁目団地自治会の災害協力隊と拠点避難所となる豊洲西小学校を中心に進められています。これに開発協議会やスマートシティ推進協議会といった企業団体、そして豊洲六丁目の住民の皆さまも加わり、2018年からAIを活用した新しいタイプの防災訓練を毎年実施。トライアンドエラーを繰り返しつつより実現性のある訓練を目指しています。
また徐々にですが、自治会として基本的な活動を試行錯誤しつつ進めています。
- 安心・安全:防災訓練、防犯パトロール
- 環境整備:豊洲五丁目地区地区計画の遵守、春や秋のまちの清掃活動、昆虫抑制剤の散布
- 福祉:バスツアー、夏のラジオ体操、ノルディックウォーキング
- 江東区立豊洲西小学校との連携:もよりの小学校として連携、地域学校協働活動の協力
- 近隣団体との連携:豊洲地区運河ルネサンス協議会、豊洲市場に関する連絡協議会
豊洲五丁目のまちづくりは20年前から始まりました。しかしマンション連合体としての自治会活動は始まったばかりです。問題や課題は山積していますが、”私たちのまちは、私たちの手でつくる”という理念をご理解いただき、多くの皆さまにご協力いただけますことを願っています。